「贈与経済」と「恩送り」から探る:現代社会に息づく「与える」ことの豊かな循環
はじめに:「与える」ことの広がり
「与える」という行為は、個人的な善意や利他心の表現として語られることが一般的です。しかし、この行為は個人の内面的な充足に留まらず、より広い社会的なつながりや、時に経済的な様相をも帯びながら、多様な形で私たちの社会に息づいています。特に、人類学や社会学で論じられてきた「贈与経済」や、日本に古くから伝わる「恩送り」といった概念は、交換や対価を前提としない「与える」ことの、社会構造や人間関係における根源的な力強さを示唆しています。
これらの伝統的な概念は、現代社会におけるボランティア活動、NPOによる支援、あるいはインターネットを通じた情報共有やクラウドファンディングといった新しい形の「与える」行為にも通じる示唆を与えてくれます。現代に生きる私たちが、これらの概念から何を学び、どのように「与える」ことの豊かな循環を自身の活動や生活に取り入れ、広げていくことができるのかを探求します。
「贈与経済」が示す、交換を超えた関係構築
「贈与経済」とは、市場での売買や物々交換のように、価値が等価交換されることを基本とする「交換経済」とは異なる経済システムを指します。人類学者のマルセル・モースらが論じたように、伝統社会においては、物品やサービスを「贈与」することが、単なるモノの移動に留まらず、贈与者と受贈者の間に相互の絆や義務、信頼関係を生み出し、共同体全体の結束を強める重要な機能を持っていました。
贈与の受け手は、その贈与に対して「返す」義務を感じますが、それは必ずしも等価のものを直ちに返すというものではありません。むしろ、時間差があったり、異なる形態で返されたり、あるいは全く別の第三者に贈与が巡っていったりすることもあります。この「与える」「受け取る」「返す(別の誰かに送る)」という一連のプロセスが、人々の間に非対称的でありながらも継続的な関係性を築き上げ、社会的な信頼という見えない資本を醸成していくのです。
この視点は、現代社会におけるNPO活動やコミュニティ支援にも当てはまります。支援者からの寄付やボランティアという「贈与」は、直接的な対価を求めるものではありません。しかし、その贈与は活動を通じて社会的な価値を生み出し、受益者や社会全体に影響を与え、それが新たな共感やさらなる支援へとつながる循環を生むことがあります。これはまさに、「贈与」が関係性を構築し、社会的な豊かさをもたらす一例と言えるでしょう。
「恩送り」に見る、未来への贈与
「恩送り」は、受けた恩をその相手に直接返すのではなく、全く別の人に送るという日本の伝統的な考え方です。「情けは人のためならず」ということわざにも通じるこの概念は、個々の関係性における閉じたやり取りを超え、社会全体、あるいは世代を超えた広がりを持つ「与える」ことの意義を示しています。
親から子へ、地域社会の先輩から後輩へ、あるいは全く見知らぬ困っている人へ。自分が受けた親切や支援を、次は自分が他の誰かに対して行う。この行為は、特定の個人間の貸し借りではなく、社会全体への貢献として捉えられます。そこには、直接的な見返りを期待しない、あるいは受け取る側が誰であるかさえ意識しない普遍的な「与える」姿勢があります。
「恩送り」の考え方は、持続可能な社会を築く上で重要な示唆を与えます。資源や機会を次の世代のために守り、育むこと、困っている人々に対して手を差し伸べること、社会全体の共通善のために行動すること。これらはすべて、「恩送り」の精神に基づいた未来への「贈与」と言えるでしょう。NPOや社会活動における長期的な視点での取り組みや、次世代の育成などは、まさにこの「恩送り」の現代的な実践と言えます。
現代における「与える」ことの多様な形と循環
現代社会において、「与える」行為は「贈与経済」や「恩送り」といった伝統的な枠組みを超え、テクノロジーの進化や社会の変化に伴い多様な形をとっています。
- NPO・非営利活動: 資金や労力、専門知識などを社会課題の解決のために提供する代表的な例です。寄付やボランティアは、まさに伝統的な贈与の精神に基づいています。
- クラウドファンディング: 特定のプロジェクトや活動に対して、インターネットを通じて不特定多数の人々が少額の資金を「贈与」する仕組みです。支援者は金銭的なリターンよりも、プロジェクトの実現や社会的なインパクトに価値を見出すことが多いです。
- オープンソース・共有経済: ソフトウェアのコードや知識、さらには物品や空間などを無償で共有する文化です。これは、自身の持つリソースを「与える」ことで、コミュニティ全体の利益や発展に貢献する行為であり、恩送りの精神とも通じます。
- 時間やスキルの提供: 高齢者の見守り、学習支援、プロボノ活動など、自身の時間や専門的なスキルを他者や社会のために提供することも重要な「与える」行為です。
これらの活動は、単に慈善行為としてではなく、参加者間に新たな関係性を生み出し、情報の流通を促し、社会的なイノベーションを呼び込むなど、経済的・社会的な活力を生み出す側面を持っています。「与える」ことが、モノやサービスだけでなく、信頼、情報、機会といった多様な価値を循環させ、社会全体の豊かさを創造しているのです。
「与える」ことの豊かな循環を実感するために
現代社会で「与える」ことの豊かな循環を自身の中で実感し、さらに広げていくためには、いくつかの意識と実践が重要となります。
- 「与える」行為の多様性を認識する: 金銭的な寄付やボランティアだけでなく、誰かの話に耳を傾ける時間、持っている知識や情報を共有すること、小さな親切など、日常の中に存在する多様な「与える」機会に気づくことが第一歩です。
- 意図と結果の両方に目を向ける: なぜ「与える」のかという自身の内なる動機(意図)を探求すると同時に、「与える」ことが周囲にどのような影響を与えているのか(結果)を観察することも大切です。大きな変化だけでなく、小さな波及効果にも気づくことで、行為の意義を深く理解できます。
- 受け取ることも肯定的に捉える: 「贈与経済」や「恩送り」は一方的な流れではなく、循環です。「与える」ことと同様に、感謝と共に「受け取る」ことも循環の一部として肯定的に捉え、滞りのない流れを意識することが重要です。
- 「与える」体験を共有する: 自身の「与える」体験や、そこから得られた学び、感じた喜びなどを、周囲の人々と共有してみましょう。それは、自身の内面的な整理につながると同時に、他者が「与える」ことに関心を持つきっかけとなる可能性があります。NPOなどの組織においては、活動を通じて生み出された社会的な価値や、支援者・受益者の体験をストーリーとして語ることで、この豊かな循環を可視化し、広げることができます。
まとめ:「与える」ことが織りなす、より良い社会へ
「贈与経済」や「恩送り」といった古くて新しい概念は、「与える」という行為が単なる個人的な行為に留まらず、社会的な絆を築き、信頼を醸成し、経済的な活力さえも生み出す根源的な力を持っていることを教えてくれます。
現代社会における多様な「与える」ことの実践は、これらの伝統的な知恵が形を変えて生き続けている証と言えるでしょう。私たちが日々の生活や活動の中で意識的に「与える」ことを選択し、その循環を大切に育むことは、自身の人生を豊かにするだけでなく、より相互に支え合い、活力に満ちた社会を築くことにつながります。
ぜひ、あなたの「与える」行為が、どのような豊かな循環を生み出しているのか、そしてこれからどのような循環を創り出していけるのかを、改めて見つめ直してみてはいかがでしょうか。